春が近づくと、街には小さなランドセル姿がちらほら見えはじめます。
「もうそんな季節かぁ」と思いつつ、ふと、自分の子や孫の入学を思い出す方も多いのではないでしょうか。
うちもこの春、娘が小学校に入学しました。
ランドセルは私の両親、机は夫の両親が買ってくれていて、正直それだけで充分すぎるほどありがたかったんです。
でも、入学式の日には、両方のおじいちゃんおばあちゃんから「お祝い金」までいただきました。
正直「え?まだもらうの?いいのに…!」と戸惑いつつも、やっぱり「おめでとう」の気持ちは、形にして贈りたいものなんだなって、しみじみ思ったんです。
そんな経験をもとに、この記事では「ランドセルや学習机をすでにもらっている場合、さらにお祝いって必要なの?」という疑問や。
「何を贈ったら喜ばれるのか」について、わたし自身のエピソードも交えながら、ゆっくりお話ししていきますね。
学習机やランドセルを贈ってるなら、もう十分?
「もうこれ以上はいらない」と思っていたけれど…
ランドセルと学習机って、正直なところ…ものすごく高いですよね。
うちの娘の時も、まずランドセルの価格を見てビックリ。
さらに机まで揃えるとなると、それだけで数万円から十万円単位の出費になります。
それを、両方の祖父母がそれぞれ贈ってくれたんです。
「孫が小学生になるんだから、ちゃんとした物を揃えてあげたい」って、そんな想いが伝わってきて、ただただありがたかった。
だからこそ、「もう十分」「お祝い金は気にしないでね」って、心からそう思ったんです。
だって、自分たちの年金生活の中から、孫のために大きな買い物をしてくれてるんですもの。
「贈りたい気持ち」は誰にも止められない
でもね、後から気づいたんです。
「もう十分」っていうのは、私たち受け取る側の気持ちであって、贈る側にとっては「お祝いしてあげたい」という気持ちに終わりなんてないんだなって。
娘が入学式を迎える朝、義母がふと取り出したぽち袋。
「これはほんの気持ちだからね。お祝い事にはお祝い事らしいことをしたくて」
そう言って手渡されたその封筒は、決して金額じゃなくて、気持ちそのものが詰まっていました。
あぁ、やっぱり“お祝い”って、物やお金だけじゃないんだなって思ったんです。
「おめでとう」の気持ちを、どんな形で伝えるか。
その表現方法が違うだけで、根っこにあるのは“孫の成長を喜びたい”という純粋な想いなんですよね。
気持ちを受け取るのも、また優しさ
とはいえ、実際には「うちは十分もらってるからこれ以上は遠慮したい」と思うこともあるし、「気を遣わせたくないな」とも思う。
でも、祖父母にとっては“何かしてあげる”ことが喜びなんですよね。
それが金銭であれ、言葉であれ、行動であれ。
だから私は今では、必要以上に遠慮しすぎず、「ありがとう、助かるよ」「気持ちが本当にうれしい」と、まっすぐに感謝を伝えるようにしています。
そして、その気持ちを子どもにも伝える。
「これは、おじいちゃんおばあちゃんが、あなたの入学を心からお祝いしたくてしてくれたことなんだよ」って。
「想い」が伝わる贈り物は、きっと心に残る
子どもにとっては、そこまでの背景まではわからないかもしれない。
でも、「自分は大切にされている」と感じる経験って、大人になっても忘れないと思うんです。
だからこそ、「学習机やランドセルを贈ったから、お祝いはもう十分」という考えだけではなく、「その先の気持ちにも寄り添う」ことができたら、もっとお互いに幸せな贈り物の時間が生まれるのかなと思います。
お祝い金って、みんな渡してるの?
正解がないからこそ、モヤモヤする…
入学のタイミングって、なんだかんだでお金が動く時期ですよね。
ランドセル
- 学習机
- 文房具
- 制服
- 体操服…
そんな中で、祖父母から「お祝い金」の話が出ると、正直なところ戸惑いもありました。
「ランドセルでもう十分もらってるし」「あまり気を使わせたくないなぁ」って思っていた私に、母が言ったひと言が今も忘れられません。
「だって、孫の人生のスタートだよ?うれしいじゃない。なにかしてあげたくなるのは当たり前よ」って。
その時、ふっと腑に落ちたんです。
お祝い金って、“出さなきゃいけないもの”でも“やらないと失礼”ってものでもなくて、「お祝いしたい」っていう気持ちの延長線上にあるものなんだなって。
「みんなそうしてる」は、案外バラバラだったりする
とはいえ、「みんなはどうしてるの?」って気になるのが人間ですよね。
私もママ友と何度か話しましたが、これがまぁ見事にバラバラで。
ある家庭では「机とランドセル+お祝い金3万円」という豪華セット。
別の家庭では「ランドセルは贈ったけど現金はなし」、また「物は何も贈らず、お祝い金だけ5万円」というケースも。
聞いていて思ったのは、「これが正解」というかたちがないこと。
そしてみんな、迷いながら、でも子どもや孫のことを思って一生懸命考えているということでした。
迷ったら、まずは気持ちを伝えてみてもいい
我が家の場合は、お祝い金について「うちはもう十分ですから」と何度か伝えていたんですけど、両家の親ともに「それでも渡したい」と言ってくれました。
「気を遣わせたくない」って思う気持ちと、「どうしても何か贈りたい」という想い。
どちらも本音だから、どっちかが間違ってるわけじゃないんですよね。
だからこそ、迷ったときは一度、「気持ちはすごくうれしいんだけど、うちはこう考えてるよ」と話してみるのもアリだと思います。
そこで「わかった、それなら今回は気持ちだけね」となるかもしれないし、「気持ちだけでも渡させて」となるかもしれない。
お祝い金に正解がないからこそ、大切なのは“気持ちのやり取り”なのかもしれません。
かたちより、想いが通い合うことが一番うれしい
結局のところ、祖父母が「何かしてあげたい」と思ってくれる気持ちを、どう受け取るか。
そして、受け取る側として「ありがたい」と思える心の余裕を持てるかどうか。
うちは、お祝い金をいただいたあとに、娘と一緒にお礼の手紙を書きました。
「入学楽しみです」「ランドセルだいじにつかいます」「ありがとう」って、小さな文字で書かれた言葉に、祖父母も涙ぐんでいました。
お金のやり取りって、言葉以上に気を遣うものだけど、そこに感謝や愛情が重なれば、単なる“金額”じゃなくて、“記憶”になるんだなぁと、心から感じました。
孫への入学祝い金、どれくらいが目安?
「金額」に迷うのは、気持ちがある証拠
「入学祝い金って、だいたいみんなどのくらい包んでるの?」
これは、私もすっごく悩んだことのひとつでした。
だって、お金ってリアルな話題だけに、誰にも直接は聞きづらいんですよね。
親しい友人にも「ところで、お祝い金っていくらくらい渡すもんなの?」なんて聞けない空気、ありませんか?
ネットで調べても、「平均2万円」「3万円が相場」なんて情報が出てくるけれど、それって地域差もあるし、家庭の考え方にもよるし、なにより“その人がどこまで準備しているか”によって全然違ってきます。
私たちの場合は、すでにランドセルと学習机を両家からそれぞれプレゼントとしていただいていたので、「金額としての入学祝いはもう必要ないかな」と思っていました。
でも、実際はそれでも「気持ちだから」と言って、お祝い金もいただいたんです。
そのときに思ったのは、「金額は気持ちに比例しない」ってこと。
1万円だろうと5万円だろうと、「この子の成長を一緒に祝いたい」という想いがあれば、それはもうかけがえのない贈り物なんです。
「〇円が相場」では測れない家族のかたち
一般的な目安としては――と前置きしたうえでお話しするならば、
ランドセルや机など、すでに高額な贈り物をしている場合は「1~2万円程度」が多いようです。
逆に、物は渡していないけどお祝い金だけ、という場合は「3~5万円くらい」が一つの基準になっていることもあります。
でも正直、相場に合わせようとして無理をしてしまうのは、本末転倒ですよね。
「うちはうち、よそはよそ」で大丈夫。
贈る側にとって無理のない範囲で、「これなら気持ちよく渡せる」と思える金額で十分なんです。
私の母も「年金暮らしだからたくさんは無理だけど」と言いながら、娘のためにほんの少しのお祝いを包んでくれました。
そして、そっと一言。
「これで鉛筆でも買ってあげてね」って。
その言葉が、どれほど心に染みたことか…。
金額よりも、そこに込められた“想い”が、何よりの贈り物でした。
「見栄」じゃなく、「愛情」を包めばそれでいい
お祝い金って、ときに“見栄”が混じりがちなんですよね。
「少なかったら失礼かな?」「他の親戚と比べてどうだろう?」なんて、ついつい気にしてしまう。
でも、本当に大切なのは「いくら包むか」じゃなくて、「どんな気持ちで贈るか」だと思うんです。
だから、もし金額に迷ったら、「この金額で、この子の門出を心から祝えるか?」と自分に問いかけてみてください。
それに「気持ちが伝わるように言葉を添える」だけで、同じ金額でも受け取る側の心に残るものになるんですよね。
私も、お祝い金に一言手紙を添えて渡したことがあります。
たった数行だったけれど、それを読んでくれた甥っ子が「うれしかった!」と笑ってくれた姿、今も覚えています。
形じゃない、気持ちを伝える「電報」という贈り物
モノよりも、心に残るものを贈りたくて
- ランドセルもある
- 机もある
- 文房具も十分に揃ってる
うちもまさにその状態でした。
両家の祖父母がそれぞれ、入学準備の大きな部分を担ってくれていて、もうこれ以上贈るものなんてないよね、と一度は話していたんです。
でも、そんな中で私の母がふと言いました。
「モノはもう要らないってわかってるけど、やっぱり何か“気持ちを贈る”方法はないかしらねぇ」って。
それを聞いて、私は電報という選択肢を思い出しました。
「えっ?電報ってあの、昔の結婚式とかで読むやつ?」って思う方もいるかもしれません。
でも、最近の電報って本当に進化していて、ぬいぐるみが付いていたり、カラフルな台紙があったり、子どもにも喜んでもらえる“ギフト感”がしっかりあるんです。
「自分だけのメッセージ」は、子どもにとって宝物
まだ幼い子どもにとって、お金の価値ってそんなにピンとこないんですよね。
いただいたお祝い金は親として本当に助かるけど、子どもにとっては「なんかよくわかんないけどもらった」という印象で終わってしまうことも。
でも、“自分に向けて書かれた言葉”って、ちゃんと子どもの心に届くんです。
うちの娘もそうでした。
祖父母から届いた電報を見て、「これ、わたしの名前書いてある!」って、それはもう目を輝かせて喜んでいて。
「よくがんばったね」「小学校でも楽しんでね」っていうたった一言が、子どもの中では特別な“ごほうび”になるんだなと感じました。
しかも、電報ってちょっと“フォーマルな感じ”があるから、子どもにとっては「すごいこと」みたいに映るんですよね。
手紙とは違って、「贈り物っぽさ」がある。
まるで表彰状をもらったような誇らしさがあって、それがまた嬉しいみたいなんです。
「気持ちのギフト」として、選択肢に加えてみても
もちろん、電報が絶対に正解というわけではありません。
でも、「モノはもう足りてるけど、何か気持ちを伝えたい」という場面では、すごく素敵な選択肢になると私は思っています。
たとえば、350文字くらいの電報なら、「こんなふうに育ってくれてうれしい」とか「新しい学校でもあなたらしく頑張ってね」なんてメッセージを、しっかり文字にして伝えることができます。
実際、私の父の誕生日にも使ったことがあって、そのときは“当日思い出して”慌てて申し込んだのに、即日で届いて、見た目も立派で父がすごく喜んでくれました。
電報って、ただの連絡手段ではなく、「あなたのことを想って贈ったよ」という気持ちが伝わる“こころのギフト”なんですよね。
大人になっても、きっと忘れない
贈った電報は、娘の机の引き出しに、今も大切にしまわれています。
ときどき取り出して読み返している姿を見ると、「あぁ、あのとき電報を贈ってよかったなぁ」って思うんです。
モノは壊れたり失くしたりするけれど、言葉の記憶って案外ずっと残るんですよね。
特に、自分に向けられたやさしい言葉って、子どもの心をずっとあたため続けてくれる。
だからこそ、お祝い金やモノ以外の贈り方を探している方には、「電報」という選択肢もあるよって、そっと伝えたくなったんです。
ランドセル以外にも喜ばれた贈り物
気持ちが伝わる“ちょっとしたもの”が、意外とうれしい
入学祝いといえば、やっぱりランドセルが大定番。
でも、それ以外にも「これ、うれしかったなぁ」「これはありがたかった!」って思える贈り物がたくさんありました。
特に、すでにランドセルや机は準備万端で「もう一通り揃ってるんだけど…」というご家庭には、気軽に贈れる実用的なものが喜ばれることも多いんですよね。
物としては“派手さ”がなくても、「あなたのことをちゃんと考えて選んだよ」という気持ちが伝わるものは、やっぱり心に残ります。
名入りの文房具は、親も子もにっこり
入学に向けて鉛筆や消しゴム、筆箱など、文房具は一通り準備していることが多いです。
でも、そこに「名前入り」というひと工夫があるだけで、子どもにとっては特別感がぐんと増すんですよね。
うちの娘の場合、卒園記念でもらった名入り鉛筆はあったけど、色鉛筆までは手が回っていなくて。
だから、「名前入りの色鉛筆もらえたら嬉しかっただろうなぁ」と、あとから思いました。
実際にシールで名前を貼ることもできますが、シールって時間が経つと端っこがめくれてきたり、取れてなくなってしまったり…。
しかも、ひとつひとつ貼るのって地味に手間がかかるんですよね。
それに対して、最初から刻印されている文房具は、使うたびに「わたしのだ!」という気持ちを感じられて、子どもも自信を持てるようになるみたいです。
贈る側としても気負いせず選べるし、ちょっとしたプレゼントとしては本当にぴったりだと思います。
図書カードはシンプルだけど万能
現金よりも渡しやすく、使い道にも困らない…そんな嬉しい贈り物の代表が、図書カードでした。
本屋さんに行って「好きなのを選んでいいよ」と言ってあげると、子どももすごく嬉しそうに絵本や図鑑を手に取っていて。
選ぶ時間そのものが特別なイベントみたいになるんですよね。
「これ買っていいの?」「まだいいの?」なんて、ちょっと照れながらも真剣な顔で本を選ぶ姿は、見ていてほっこりしました。
親としても、好きな本を通して子どもの興味や好奇心に気づけたりして、新たな発見があったりもします。
価格的にも負担が大きすぎず、贈る側としてもありがたい選択肢でした。
サイズに悩むけど…靴も実はうれしい贈り物
これは意外だったんですが、「靴」も実用性があってありがたいプレゼントでした。
ただ、ひとつ難点があるとすれば…そう、サイズ問題です。
子どもってほんの数ヶ月であっという間に足が大きくなります。
ピッタリサイズを選んでも、気づけばもうキツい…なんてことも。
だから、どうしても本人の足を直接見て選べない場合は、ほんの少し大きめのサイズを選ぶと安心かもしれません。
「子どもの靴なんて消耗品だよ」とよく言われるように、晴れの日の靴と普段履きと、何足あっても困ることはないので、個人的にはすごくありがたかったです。
学校指定の学用品は、ひと呼吸置いてからがベスト
たとえば鍵盤ハーモニカ、算数セット、リコーダーなど、小学校で使うアイテムって、ある程度進級してから必要になるものも多いんです。
「じゃあ早めにプレゼントしよう!」と考える気持ちもすごくよくわかるんですが、実はこれ、注意が必要です。
というのも、学校によっては「このメーカー指定」だったり、「学年でまとめて購入します」というルールがあることがあるんですね。
うちの学校もそうでした。
「せっかく用意したのに使えない…」という事態になるのは、贈る側としても悲しいですし、受け取る側も申し訳ない気持ちになります。
だからこそ、この手のアイテムは、事前に学校の案内を確認してから、もしくは「こういうものが必要になるみたいだけど、準備進んでる?」と一言聞いてからが安心です。
でも、「欲しいタイミングで買おうと思ってたから、贈ってもらえて助かった!」というケースもありました。
必要になるのがわかっているものだからこそ、ちょうどいいタイミングでの贈り物は、心から感謝されることも多いです。
まとめ
入学という節目は、子どもにとっても家族にとっても、とびきり特別な瞬間です。
ランドセルや机、文房具やお祝い金、そしてちょっとした言葉に込められた「おめでとう」の気持ち。
どれもが子どもの胸に、小さな自信と温かな記憶を残してくれます。
「もう十分だから」と思っていたはずなのに、「それでも何か贈りたい」と思ってくれた祖父母のやさしさに触れたとき、私はあらためて“贈り物って、形よりも気持ちなんだ”と実感しました。
金額に正解はありませんし、贈る物にもルールはありません。
でも、「この子のことを思って選んだよ」という、その気持ちが伝われば、それは世界にひとつだけの素敵な贈り物になります。
そしてそれは、受け取った子どもだけでなく、その場にいた家族みんなの心をあたためてくれるのです。
贈り物のカタチに迷ったときは、「この子の笑顔が見たいから」という気持ちを軸に、そっと選んでみてくださいね。
大丈夫、想いがこもっていれば、きっとそれは届きます。