初盆は家族だけで大丈夫?親戚への連絡・準備・お供え対応まで完全ガイド

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初盆を家族だけで行いたい。

そう思うことに、引け目や遠慮を感じる必要はありません。

世の中の空気が大きく変わったこの数年で、人との付き合い方や行事の意味について、私たちの価値観も静かに変化してきました。

以前は「みんなを呼んで盛大に」とするのが当たり前だった初盆も、今では「できる範囲で心を込めたい」と願う人が増えています。

けれど一方で、昔からのしきたりを重んじる家族や親戚、義両親の存在を思うと、「本当にこれでいいのかな」と不安になってしまうのも当然です。

誰かをないがしろにしたくない、でも自分たちの気持ちも大切にしたい。

そんなせめぎ合いの中で、初盆の迎え方に悩む人は少なくありません。

この記事では、初盆を家族だけで行うことを考えている方に向けて、無理のない範囲でできる準備や配慮のポイント、トラブルにならないための伝え方などを、ひとつずつ丁寧に解説していきます。

大切なのは「完璧にやること」ではなく、「気持ちが伝わる形を選ぶこと」。

あなたの心にそっと寄り添えるような内容を目指してお届けします。

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初盆を家族だけで簡単にと考えていても何もしないのはNG!

あの人が旅立ってから、ようやく気持ちが少し落ち着いてきたかなと思った頃、迎えるのが初盆。

ふとした瞬間に思い出して涙がにじんだり、仏壇の前に座って静かに手を合わせたり、日々の中で少しずつ故人との新しい向き合い方を見つけていく――

そんな大切な時間の延長に、初盆があります。

でも、やっぱり悩むんですよね。

「誰を呼ぶべき?」「家族だけじゃダメかな?」「費用や準備が負担になりそう…」頭の中ではいろんな心配がぐるぐるして、なかなか決断がつかない。

正直なところ、私も初盆を迎えるとき、「もう静かに、家族だけでいいんじゃないか」と思ってしまった一人です。

でもそのとき、親戚や義両親との関係、地域の習慣、そして何より“亡き人をどう迎えるか”という気持ちの整理がつかなくて、迷い続けてしまったんです。

「何もしない」は思わぬ誤解を生むことも

「家族だけでやります」と決めるのはいいのです。

でも、その一方で、まったく何の連絡もせず、何の準備もせずに過ごしてしまうと、思わぬ誤解を生んでしまうこともあるんですよね。

特に親戚の中には、「初盆は親しい人たちで集まって供養するのが常識」という価値観を持っている方もいらっしゃいます。

そのときに何の説明もなく過ぎてしまうと、「呼んでもらえなかった」「あの家は何もしていなかった」と、後から陰で言われてしまう…そんなケースも実際にあるんです。

もちろん、何かを言いたいわけではないんです。

ただ、亡くなった方を偲ぶというのは、それぞれの立場で大切にしている感情があるからこそ、すれ違いが起きやすい。

だからこそ「何もしてない」のではなく、「家族だけで静かに過ごします」という意思をあらかじめ丁寧に伝えることが、誤解を防ぎ、周囲との関係を守る一歩になるんです。

義実家や年配の親戚には事前の相談を

私の義母もそうでしたが、年配の方の中には「昔ながらのやり方」に強いこだわりを持っている方も少なくありません。

特に義実家側の親族にとって、初盆は“親戚としての礼儀やけじめ”のように受け止められていることもあります。

そういう方々に対して、自分たちだけの判断で「今年は家族だけで済ませました」と後から伝えると、「なぜ相談してくれなかったの?」と気まずい空気になってしまうことも…。

だから、迷ったときはひと言でもいいんです。

「今年は体調面もあり、家族だけで控えめに行いたいと考えていますが、いかがでしょうか?」

そんな風に相談してみるだけで、受け止め方はまったく違ってきます。

たとえ自分たちの思う通りにいかなくても、事前に話しておくことで、相手の気持ちも汲みながら進められる。

そうすることで、「わかってくれてるな」と感じてもらえるものなんですよね。

“やらない”ではなく“できる範囲で心を込める”ことが大切

初盆を家族だけで行うという選択は、誰かを排除したいとか、面倒を避けたいとか、そういうことではありませんよね。

むしろ、静かに、心を込めて、故人と向き合うための選択だと思うんです。

だからこそ、形式的なことをすべて省くのではなく、“できる範囲で、最低限の準備とお知らせだけはする”。

その気持ちがあれば、誰から責められることなんてありません。

たとえば、お坊さんへの読経だけお願いする、提灯を玄関に飾っておく、家族で好きだった食べ物を供えて手を合わせる。

そういった小さなひとつひとつの行いが、立派な供養になるんです。

なにより大切なのは、心から「ありがとう」「おかえりなさい」と思えるかどうか。

それさえあれば、どんな形であっても、それはきっと温かい初盆になります。

あなたらしい初盆のかたちを選んで大丈夫

初盆の正解なんて、本当は誰にも決められません。

地域の風習、宗派、家族構成、そしてあなたの心の状態。

いろんな要素をふまえて、「うちはこういう形でやるね」と胸を張って言えれば、それが一番の供養になるのだと思います。

誰かにとっての“当たり前”が、あなたにとっての“正解”とは限りません。

だから、無理して背伸びする必要なんてないんです。

この大切な節目を、無理なく、心を込めて、あなたらしく過ごすために。

準備や連絡のひとつひとつが、故人との対話になっていく。。。

そんな初盆になりますようにと願っています。

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初盆を家族だけでとお知らせするはがきの例文!誰に送ればいいの?

「初盆は家族だけで静かに過ごしたい」そう決めたとき、実は次に悩むのが“誰にどこまで伝えるべきか”ということなんです。

呼ばないからといって何も知らせないわけにもいかず、でも一人ひとりに説明してまわるのも大変だし、相手の反応が気になってしまう…。

そのモヤモヤ、よくわかります。

私自身、初盆のときに「誰に言うべきか迷っているうちに日が迫ってしまった…」ということがあって、あの焦りは本当にもう経験したくないと思いました。

だからこそ、「伝え方」は早めに整えておくと気持ちがぐっとラクになります。

お知らせのはがきは“気持ちの整理”のひとつ

たとえ家族だけで行う初盆でも、縁のあった方々への気配りは大切です。

とくに故人と親しくしていた親戚やご友人、会社関係の方々は、

「お参りに伺ってもいいですか?」
「初盆はどうされるのですか?」

と気にかけてくださることもあります。

だからこそ、事前に「家族のみで行います」と知らせておくことは、相手の気持ちにも自分の気持ちにもやさしい配慮なんですよね。

相手からの連絡を受けてあたふたするよりも、自分の言葉であらかじめ意思を伝えておく方が、ずっと穏やかなやりとりになります。

はがきでお知らせするというのは、形式ではなく、“心の準備を整える手段”でもあるのです。

誰に送ればいい?迷ったら“故人との関係”で考える

誰にまでお知らせすべきか悩んだら、まずは「故人と生前どれだけ関わりがあったか」を軸に考えてみるのがひとつの基準になります。

たとえば、次のような方が対象になります。

  • 生前にお世話になった親戚や知人
  • ご近所の方で、通夜・葬儀に参列いただいた方
  • 故人が勤めていた会社関係や友人関係
一方で、あまり付き合いのなかった遠縁の親戚や、葬儀のときにお知らせしていない関係者まで無理に連絡する必要はありません。

あなた自身が「お知らせしておきたい」と思うかどうかを大事にしていいのです。

はがきで伝えるときのタイミングとポイント

はがきは初盆の2~3週間前までに相手の手元に届くよう出すのが理想です。

お盆の時期は地域によって異なりますが、7月~8月にかけてのどこかで法要を行う場合が多いため、6月中旬~7月初旬に準備しておくと安心です。

また、文面のポイントは「丁寧な言葉で、事情をやわらかく説明すること」。

たとえば体調への配慮や、昨今の社会状況(コロナなど)を理由にすると角が立ちにくく、相手も納得しやすくなります。

実際に使えるはがき文例

実際の文例として、こんなふうに書くとやさしい印象になります。

例文
拝啓 盛夏の候、皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて 亡〇〇(故人の名前)儀の初盆にあたり 本来であれば皆様にご案内のうえ法要を執り行うべきところではございますが

昨今の状況を鑑み 家族のみでささやかに供養させていただきたく存じます

甚だ勝手ではございますが 何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます

故人に対し賜りましたご厚情に深く感謝申し上げ 略儀ながら書中をもちましてご挨拶とさせていただきます

こうした文面をもとに、印刷したはがきや市販の挨拶状キットを使えば、まとめて送る作業もぐっとスムーズになります。

“断る”のではなく“お伝えする”という気持ちで

案内はがきを出すとき、「お誘いしないことに後ろめたさを感じてしまう…」という方もいらっしゃると思います。

でも、相手のことを考えて丁寧に伝えているなら、それは立派な“気遣い”です。

誰かに「なぜ呼んでくれなかったの?」と言われたとしても、あなたの中に「できる限りのことはした」という思いがあれば大丈夫です。

お知らせするというのは、“関係を絶つため”ではなく、“感謝と意志を伝えるため”の行為なんです。

だからこそ、「気が引けるから連絡しない」ではなく、「申し訳ない気持ちを込めてきちんと伝える」という姿勢が、あなた自身の心も守ってくれると思います。

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初盆のお供えをお断りするのは失礼!?上手な断り方は?

「今年は家族だけで静かに初盆を…」そう心を決めて案内状を出したのに、ポストを開けたら届いているお供えや香典。

その気持ちがありがたいとわかっていても、

「あぁ…お返しをどうしよう」
「辞退の文面に気づいてもらえなかったかな」

と、なんだかそわそわしてしまう瞬間ってありますよね。

実は私も、案内はがきに「香典・お供え等はご辞退申し上げます」と書いたにも関わらず、複数の方から果物やお線香が届いてしまった経験があって…。

それが“気持ち”であることはわかっていても、正直「受け取ってもいいのかな」「失礼じゃないかな」って、ものすごく悩みました。

“お断り”ではなく“お気持ちを大切に受け取る”という考え方

まず大前提として、お供えや香典を辞退していたとしても、送ってくださった方に対して「受け取れません」と突っぱねる必要はまったくありません。

むしろ、一度届いたものに対して強くお断りするほうが、相手にとっては寂しい気持ちになってしまうこともあるのです。

送る側も「気持ちだけでも届けたい」という思いで送ってくださっている場合が多く、決して形式的なものではありません。

だからこそ、「ありがとうございます。お気持ちありがたく頂戴いたします」と、やわらかく受け取ることが大切です。

受け取った以上はお返しのことも頭をよぎりますが、無理をして高価な品を準備する必要はありません。

感謝の気持ちを手紙にして添えるだけでも、十分に伝わるものがあります。

お供えの辞退は“あらかじめ伝える”ことで気まずさを防げる

「そもそもできるだけ受け取らないようにしたい」そんなときは、案内状やはがきの文面にさりげなく辞退の意志を盛り込むことがポイントです。

ただし、「ご遠慮ください」などの強い表現よりも、

「ご無用にてお願い申し上げます」
「お気遣いなさいませんよう」

など、やわらかな表現を選ぶようにしましょう。

たとえば、こんな一文があるだけで受け取る側の印象はぐっと変わります。

「なお、供物・香典等につきましては、誠に恐縮ではございますが、どうぞご辞退申し上げたく存じます。」

あるいは、

「故人の遺志により、供花・供物等はご遠慮させていただいております。」

「辞退=冷たい」と受け取られないようにするには、“お気持ちはありがたく頂戴しております”というニュアンスを添えることが何より大切なんです。

辞退が故人の意志だった場合はその旨を添えて

もし故人が生前に「自分が亡くなった後は気を遣わなくていいからね」と話していたことがあれば、その思いを伝える形で辞退の言葉を選ぶのもおすすめです。

たとえばこんなふうに。

例文
故人の意向により、供物・香典等は辞退させていただいております。

なにとぞ故人の遺志をお汲み取りいただけますようお願い申し上げます。

このように書くことで、「ご家族の勝手」ではなく「故人の遺志」として伝わるため、相手もすっと受け入れやすくなります。

受け取った場合のお礼やお返しについて

もしお供えや香典が届いた場合、お返しをするかどうかは悩みどころですが、金額や内容によって臨機応変に考えて大丈夫です。

少額の香典や品物の場合は、手紙やお礼状だけでも誠意は十分伝わります。

どうしてもお返しをしたい場合は、お茶やタオルなど日常で使える簡素な品を「志(こころざし)」として送るのも良い方法です。

そしてなにより、「忘れずに感謝を伝えること」こそが一番のお返しになるのだと、私は感じています。

形式にとらわれすぎず、心を込めて、あなたらしい方法でお礼を伝えましょう。

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初盆を家族だけで行う場合のまとめ

初盆を家族だけで行うことに決めたとき、そこには

「静かに故人と向き合いたい」
「無理のない範囲で、心を込めて過ごしたい」

という、深くてやさしい気持ちがあるのだと思います。

けれど、その気持ちとは裏腹に、世間体や親戚との関係、供養のやり方に対する不安が押し寄せてくることもありますよね。

私自身もそうでした。

「これで大丈夫かな」「誰かに失礼にならないかな」と、自問自答の繰り返しでした。

でも大切なのは、形式をきちんと守ることではなく、気持ちを込めることだと気づいたとき、心がふっと軽くなりました。

必要以上に抱え込まず、自分たちにできることを、できる範囲で、ていねいに行えばそれでいいのです。

お知らせを一言添える、簡単な準備をする、いただいたお気持ちには感謝を返す。

そんな小さな積み重ねが、何よりもあたたかい供養になります。

初盆という大切な節目を、あなたとご家族にとって無理のない形で、心穏やかに過ごせますように。

きっと故人も、やさしい笑顔で帰ってきてくれると信じています。